ブラジルの危機の背景


ブラジルの危機の背景

南米の国ブラジルの現状を広い視野で眺めると、ブラジルの危機はBRICSの影響力抑制を目的とする政治行動の一部に起因していることがわかります。

ベアトリッツ・ビッショ*

より幅の広い文脈でテーマを検討しなければ、ブラジルが直面する政治的、制度的な危機を理解することはできません。

面積が広大であり、人口が多く、天然資源が豊かであるために、ブラジルはラテンアメリカ大陸できわめて大きな影響力を持っています。この南米の巨人が21世紀に地域のリーダーになったことは否定のしようがありません。

今世紀(21世紀)の初頭には、痛みに満ち、時には血生臭く、長期に及んだ政治的、社会的な衝突を経て保守的政府あるいは軍事独裁制にとって代わることによって、複数の進歩的な政府が南米大陸で誕生するに至りました。これらの進歩的な政府、とりわけブラジル政府は以前に実施されていたネオリベラリスムの諸政策に新しい方向を与えた点で決定的な役割を演じました。ネオリベラリスムの諸政策は、現在も幅広く理解されているように、特権に浴せぬ人々の利益を損ねて金融エリートに利益をもたらすことで国家を弱体化させました。今始まりだしたところの国有企業の民営化は多分に外国資本の影響下に置かれており、外国貿易も含めた経済の規制緩和がなされ、国家の果たすべき役割が減少し、その結果、国家主権が否定されるに至りました。これらすべての事象がグローバリゼーションの真っただ中で起きたのです。この傾向に歯止めをかけるために戦っている最も重要な政府の一つは2003年以来労働党(PT)の率いてきたブラジル政府なのです。その先頭に立つ指導者はルイス・イナシオ・「ルーラ」・ダ・シルバです。

ブラジルが断固とした指導力を発揮したのは、米国によって提案された米州自由貿易圏(FTTA、スペイン語略称、ALCA)に対する抵抗を試みたときでした。FTTAに対するこの反対運動は南部から北部までの進歩的諸党派を駆り立て、教会や多くのNGOが構成する社会運動を包含しました。米国がラテンアメリカで覇権を維持しネオリベラルな政策展開を強化する目的での同国のグローバル戦略の一部を成す米州自由貿易圏構想を否定することによって、ブラジルが闘争の先頭に立ちました。と同時に、国家の役割が徐々に回復され、国家の富の再配分を含む政策やプログラムが実行に移されました。このプロセスは「ボルサ・ファミリア」として有名なのですが、ブラジル創建以来社会を特徴づけてきた隔絶した社会的格差を是正する卓越した構想として国外では認識され賞賛を浴びています。数百万所帯のブラジル人家族に対するこのプログラムの適用によって国民保健が助成され安価で教育を受けられるようになり、貧困から抜け出して、「新中産階級」(おそらく幾分かオプティミスティックではありますが)と考えられる境遇になりました。驚くべきことに、この政策は超富裕層の現状にほとんど影響を与えていないばかりか、金融システムがもたらす利潤を損なうこともなく、労働党政府の提案が反資本主義的ではけっしてないことを示しています。同時に油層探鉱も進められ、その結果、大西洋の海底に新しい埋蔵石油の層が発見されました。それは「プレソルト」として知られています。新たな油層の発見はブラジルの大企業ペトロブラスの技術者が成し遂げました。海底の塩の層を掘削して、人間が使用する石油を探知して抽出するために必要な技術が開発されたのです。これにより、ブラジルはサウジアラビアに匹敵する原油埋蔵量が予想される主要産油国にランクインしました。

きわめて有名な研究者であるルイス・アルベルト・モニツ・バンデイラは、「学術界」第89号(2008年10月刊)に発表した論文「米国の戦略における南米の地政学」において、この石油の富に言及して次のように述べました。「おそらくこれは、米国大統領ジョージ・W・ブッシュが、麻薬密売、武器密売、人身売買、海賊(カリブ海と南米の海の自由な貿易に対する脅威となる)との戦いを口実にして、米国第4艦隊を南大西洋に再び派遣した、主要な理由なのでしょう。」しかし、「第4艦隊が配置転換されたのは南半球の海軍の安全保障にとってきわめて重要な意味を持つからである」と、2008年4月24日に米海軍作戦部長(CNO)ゲイリー・ラフヘッド提督が発言したことを教授は引用しています。

この段階で、ブラジルはまた当該地域で積極的、効率的な外交を展開し始め、その結果としてベネズエルラをメルコ―スル(南米南部共同市場)・プロジェクトに加盟させてこの共同市場を強化し、拡大することになりました。さらに、UNASUL(南米国家連合)の統合度が増し、カリブ海諸国を含めたCELAC(ラテンアメリカ・カリブ海諸国共同体)に参加することにもなりました。

別の2つのきわめて戦略的な構想がブラジル外交によって展開されました。それらは、ルーラ大統領が始めて、ルーセフ大統領が継続しています。そのうちの一つは、IBAS(インド、ブラジル、南アフリカ)フォーラムとIBAS基金の創設でした。IBASフォーラムにより開発途上国の多民族国家の3大国は政治的調整と技術協力を通じて国際レベルで再結合されています。いわゆるIBAS基金とは、これらの3大国の専門知識を援用することで武力紛争に明け暮れる諸国での開発プロジェクトを支援して飢餓を克服することを目標にする基金です。2010年にこの基金は、NGO「ミレニアム開発目標賞委員会」によって与えられる「ミレニアム開発目標賞」を受賞しました。そして、2012年には、南南協力、三角協力に対して多大な貢献をなしたために、国連南南協力室が与える「南南・三角協力チャンピオン賞」を受賞しました。

第2のイニシアティブは、BRICSへの参与です。これによって、ブラジルは、インドと南アフリカだけでなく、ロシアと中国と戦略的パートナーシップを確立しました。ロシア、中国との同盟は、2014年のフォルタレーザ会議で大きな弾みをつけました。その時に、「BRICS銀行」として知られる新開発銀行(NDB)が創設されたのです。NDBはすべての国連加盟国に門戸を開いていますが、設立国の実際的な関与を保証しています。この銀行は、第二次大戦中に確立された経済・金融の構造に対する選択肢を生み出す潜在性と機会をはらんでいます。第二次大戦中の1944年7月に、連合国45か国の代表が参加してブレトンウッズ会議(米国)が開催されました。その折りに、国際経済・金融のレベルでのゲームの規則が参加者たちによって定められたのです。世界銀行と国際通貨基金(IMF)という二大組織が、このゲームの規則を実行に移すために創設されました。ゲームの規則に対する合意は若干変更されたのみで、新しいコンセンサスを形成し、ネオリベラリスムの時代を招来させました。しかし、「南南開発モニター」(略称SUNS、ジュネーブ)の名誉編集者であるチャクラバルティ・ラグハバンが述べているように、「ブレトンウッズ機関はかつて植民地であった第三世界諸国の開発を促進することをけっして目標にはしませんでした。」(かつての第三世界は今日グローバルサウスとして知られています。)「世界銀行とその姉妹機関は、南に対する融資が機関の利害に適う場合か、あるいは機関の主要な利害関係者である米国に有益な場合に限って、融資を許容されてきたのです。」

今日では、BRICSはブレトンウッズ構造に対する選択肢を確立することを期待しており、NDBの創設はこの方向での第一歩です。この機関の設置は、BRICS諸国がブレトンウッズ体制を改革できることにいかなる幻想もいだいていないことの否定できない証拠です。ブレトンウッズ改革を目指した過去のすべてのイニシアティブは失敗しています。さらに、主として米国とその同盟国のおかげで、かつての第三世界諸国の大半は低開発に止まり、先進国に依存し、周縁化することになったと考えられています。

ルーラの第一期政権の初年に、ブラジルが現在の地位を獲得した過程を示す証拠がさらにあります。既述のイニシアティブのすべてが労働党の選挙での最初の勝利の直後にブラジルへの世界的な再評価をもたらしました。グローバルなアクターとして新しい地位を獲得したという事実は、米国政府(バラク・オバマ自身)とイラクの間に核協定締結をさせるためにブラジルがトルコに仲介を依頼したことによって十分に証明されています。トルコの仲介は成功を収め、当事者は米国が推奨し望んだ条件での協定に調印をしました。しかし、セスロ・アモリムが首相在任中に著した本によれば、米国は結果的に約束を反故にしました。米国が拒絶したにもかかわらず、この例は、ブラジルの仲介がいかに成功を収めたかを証明しています。何年も後で、実際に米国はイランとの核合意を成し遂げ、オバマ一人の功績とされました。

軍事的な分野にも、独立と自律性を志向するブラジルの外交的な行動を強化するためのイニシアティブがあります。これらの一つは、フェルナンド・ヘンリク・カルドーソ政権下で始められた、北部ブラジル、マランニョン州アルカンタラの使用権を、特定の用途について、米国に移譲するプロジェクトの継続を停止することでした。ロシアとの戦略的に重要なイニシアティブがあります。2004年のルーラ大統領のモスクワへの公式訪問時に調印された、ブラジル・ロシア間の戦略2か国間協定や、ブラジル宇宙機関が最初のブラジル人宇宙飛行士マルコス・ポンテをソユーズTMA-8で宇宙に送り出すことを可能にした航空宇宙協定がそれにあたります。もっと最近ではフランとの間で軍事条約が調印され、潜水艦建造のブラジル人専門家育成を目標にしてフランスの技術の移転が保証されました。この条約により、2025年までにブラジルは独自の原子力潜水艦を保有し、それによって大陸棚の富―特にプレソルト―を保全することになります。加えて、2014年にはブラジルはスウェーデンのジェット戦闘機を購入する選択をしました。この合意には技術の移転が含まれており、米国のF-15の購入よりも好ましい結果になりました。

これらのイニシアティブに加えて、中国の李克強国務院総理による2015年のブラジル訪問時に重要な協定が署名されました。このブラジル訪問は習金平の訪問から1年もたたずに実現しています。現在、中国はブラジルの主要な商業貿易相手国であり、2009年以来そうでした。2014年には、中国へのブラジルの輸出総額は406億米ドルであり、輸入は373億米ドルに達しました。

李克強のブラジル訪問の結果、さまざまな分野(計画、インフラ、輸送、農業、鉱業、エネルギー)での35の協定が調印され、530億米ドルの投資がなされることになりました。ペトロブラス投資合意は少なくとも70億米ドルに及びました。中国は、とりわけ、「大陸横断」鉄道プロジェクトに代表されるブラジルの鉄道網への投資に関心を抱いています。「大陸横断」鉄道はペルー・ブラジル間の「大洋横断」鉄道の一部になる予定です。この戦略プロジェクトが実現すると、ブラジルはペルーの太平洋側の港からアジア市場に製品を輸出できるようになります。ブラジルの中国向け投資のうちで特筆すべきは、航空、銀行、機械、自動車部品、農業の分野でなされています。中国・天津航空へのエンブラル機60機の売却は、ブラジルの輸出史上のクライマックスである考えられています。

これらのブラジルの外交的、国際的な同盟のイニシアティブに対する反動は予想されていました。ブラジルを米国の影響下に再編入しようと試みる明らかな反動です。そして、そのような反動はブラジル国内では重要な保守的政治グループ、実業界のリーダー、メディア(とりわけグロボ・ネットワーク・オリゴポリ)によって強められました。反動にさらされた時期は南米が経験している経済的な逆風が吹き始めた時です。それは石油をはじめとする天然資源の価格低落によって特徴づけられていました。この天然資源の価格低落は、世界の権力の中心による、ブラジルやベネズエラのような国にだけでなく、ロシア、中国、イランにも影響を及ぼすことを狙いとした組織的な演出プランによるものだとすることに、多くの専門家は躊躇をしないでしょう。

繁栄している時には任期中に一度や二度不満が生じてもいかなる政府でもその不満を最小限に留めることが容易であることは事実です。けれども、危機が明白になり始め、深まっていくと、政府と民衆の間の関係は悪化して、誤解が生じるに至ります。その危機において解雇が始まり、雇用水準と購買力が低下し、その結果として生活水準が悪化すると、すぐに反動が生じます。これがブラジルの場合のシナリオでした。ルーラ大統領の2期目から、保守的な反動勢力はその姿をはっきりと現し始めました。ディルマ・ルーセフ政権がスタートすると、経済の黄金期は終焉の兆候を示し始めました(天然資源の価格の低落等)。それでもなお、ほとんどの政治キャンペーンがそうであるように、著しい回復がすぐさま訪れることが期待されましたが、その期待は実現しない結果に終わりました。

偶然にも、明らかに労働党の人気の凋落を狙った、汚職批判が巻き起こり始めました。腐敗はブラジルの政治文化の常でしたが(ブラジルに限らず)、有名な保守政治家による不正行為の明白な証拠が見受けられたにもかかわらず、ほぼ毎度のようにそれらの証拠は矮小化、封印され、忘れ去られました。汚職はいつでも保守政党や軍事独裁によっても行われてきており、労働党の専売特許ではありません。ただし労働党の指導者の一部は汚職に関与し、現在服役していることは認める必要があります。労働党一部幹部の汚職事件は、党全体の否定を狙いとしてメディアや重要な保守勢力の代弁者が報じるところとなりましたが、批判者たちのある者は彼ら自身が汚職に関与しているのですが、組織化された影響力を駆使してなんとか処罰を免れています。このようにして、攻勢を継続する舞台が整ったのです。

ブラジルの政治実践の特異性

「ブラジルは初心者には適さない」という諺があります。ブラジル連邦共和国には、多くの複雑なニュアンスを含んでいるために外国人にとって(そして多くのブラジル人にとっても)理解することがきわめて困難な、政治選挙制度と「政治実践」の伝統があることを意味しています。実際の憲法は1988年に憲法制定会議によって起草されました。憲法制定会議は558人の上下院議員によって構成され、軍事政権の遺産の克服を目指しました。憲法は間もなく「市民憲法」として知られるようになりました。その理由は以下に述べるような基本的な権利を与えることで市民の権利を幅広く保証する条項を含んでいるからです。すなわち、非識字者のための投票権、16歳から18歳までの予備選挙権、2段階選挙(大統領、州知事、選挙民が20万人以上の都市の市長の場合の地位)、都市・地方・国内労働者のための諸権利(スト権等)の拡大です。

憲法制定会議のメンバーの多くは多数派によって運営される議会システムを選択し、この政治システムを実現することを望んで1988年憲法を起草しました。しかし、国民はその直後に1993年の国民投票に臨んだのですが、国民の70%が大統領制支持に票を投じました。大統領制は実際に、ジョアン・グラール大統領のきわめて短期の暫定期間を除いて、1889年の共和国建国以来採用され続けてきた体制でした。

国民投票の結果、今日まで政治学者やブラジルの政治状況の分析者によってブラジル統治の困難性の理由として挙げる特異な状況がうみ出されました。統治が困難であるのはブラジルが広大で連邦協定が複雑であるせいだけではありません。国民投票は、議会に支持された憲法(憲法修正を経ていますが)を持つ政府を有する大統領制を創設する結果となったのです。言葉を換えれば、大統領は強力な議会によって統制されるか、さもなければ自分の政治的なアジェンダを通すために暫定的な権限を行使せざるを得ないのです―暫定的な権限は限られた時間だけ有効なのできわめて不安定なのですが。

しかし、統治の問題には、ブラジルの選挙制度という別な原因もあります。最高選挙裁判所には、35の政党が登録されています。これは何を正当化するのでしょうか。35もの異なる政治的なイデオロギーがあるのでしょうか。明らかに違います。これらの政党の多くは当事者の政治的取引の欲望を満たすため、あるいははっきりしない状況を隠ぺいするために設立され、民主主義の理想を変質させるか、悪くすれば共和国憲法を弱体化させてしまいます。ディルマ・ルーセフ大統領が再立候補した2014年の選挙では、連邦地区(ブラジリア)と26の州を代表する議会の新しい勢力関係が明らかになりました。下院(代議士院)では28の政党が現在、存在します。前回の選挙では22の政党でした。ディルマ大統領の労働党は70議席しか占有できず、多数派を形成するには程遠く、大統領の統治は多くの困難が予想されました。統治と組閣を実現するには、大統領は20以上もの政党と交渉しなければならなかったのです。現実に、これが、ルーラ大統領の第一次政権以来の状況だったのです。ルーラ政権は労働党とその連立与党による議会多数派に依存することはけっしてありませんでした。

統治のそもそもの始まりから、労働党にとっての最大の課題は議会の多数派を獲得することでした。ルーラ大統領、次いでディルマ・ルーセフ大統領は主に社会分野での変革に焦点を絞ったプログラムを掲げていたのですが、望みのイニシアティブを承認してもらうには、一つずつ議会で交渉し妥協をせざるを得ませんでした。これが疑いもなく、現状の由来する原因なのです。労働党最左派の農民左派が危機のさなかに公表した文書には、「右派はわれわれの犯した失敗ゆえにわれわれを攻撃し、右派の批判はわれわれの多くの失敗故に共感を獲得している」と述べられていました。これは今でも正しいのです。

労働党政権が別な政治路線を選択していたら何が起こったかを知ることは困難です。しかし、実際には、労働党は議会多数派を獲得するために、ブラジル政治の最悪の側面を代表するPMDB(ブラジル民主運動党)のような党派と連立を組みました。前述のような政党は、今では明らかになっていることですが、いかなる状況下でも、いかなる代償を払っても、権力の甘い汁を吸おうとするのです。機会主義と偽善についてのいかなる裁きをもまったく恐れていない、今日の最も過激な反対派は、かつては政府の支持者だったのです。彼らは政府を支持することで、重要な大臣職を獲得し、国家機構の数百、いや数千もの地位を手に入れていたのです。

国際的には「土地なし農民運動」として知られている社会運動や大多数の投票者は農業、金融の改革、メディアや政治、選挙制度を含めた規制の改正を求めていたのですが、そうした声にはまったく耳を傾けずに、労働党政府は金融市場、経済エリート、メディア・グループとの間に緊張をうみ出すことを避けました。メディア・グループで特筆すべきは、独裁制時代以来ブラジルのメディアを支配してきた強力なレデ・グロボ・オリゴポリです。しかし、それにもかかわらず、エリート層の一部は労働党政府も、ルーラという人物もけっして受け入れませんでした。資源ブームが弱まる兆候を示すと共に、これらの保守勢力は攻撃を開始しました。

弾劾、メディアの役割、国外のアクター

ディルマ・ルーセフ大統領の弾劾裁判が現在進められています。現時点で世論が最も敏感に反応する、汚職の批判に彼女自身がさらされているわけでもないのに、です。大統領に対してなされた非難の一つは、大統領が国家財政についての情報をミスリードしたことにあります。緊縮財政が最も厳しかった2000年に成立した法律は政府が財政赤字を出すことを禁じています。国家が債務を背負い込むこと防止するために、この法律は政府に他の重度の債務国―例えば米国―ではあり得ないような、支出の制限を課しています。このブラジルの法律は、税金で賄えるもののみに支出をすべきであると国家に対して義務付けています。大統領への非難には、議会の事前承認なしに公的支出を増大させたこと、会計赤字を隠ぺいするために国家銀行の信用を悪用したことが含まれます。ブラジルの法律は政府が国家機関から融資を受けることを禁じています。

ディルマ・ルーセフ大統領に対するこの非難については法律上の議論がなされています。ブラジル憲法によれば「弾劾」は国家の長が「責任の犯罪」を犯した場合のみに有効になるからです。大統領の行為は―一部の法律家によれば―重大な過誤ではあるのですが、犯罪ではないのです。そういう訳で、弾劾判決後に成立するいかなる政府も法律によって認められないことになります。そのことが、ブラジル社会の大部分が弾劾裁判を「議会によるクーデター」として否定していることを説明します。政府の最高検事であるアドボガド・ゲラル・ダ・ウニャオは、責任の犯罪は存在せずと主張し、ルーセフ大統領が非難されていることを、実際の州知事の大部分やかつての大統領、フェルナンド・ヘンリク・カルドーソがまさに行っていたことを皆に想起させています。検事の議論は反論されていません。

ブラジル内外の意見はこの議論を支持しています。議会の態度を、法律的な考察をせずに政治的な判断のみで、議会が賛同し得ない政府を排除しようとするものだと、幅広い人々が見なしています。ブラジルの既存のシステム―大統領制―は議会の支持を失った場合だけでは政権の交代を認めないという事実を無視している、と。弾劾を完了させるには、上院でさらなる措置が取られねばなりません。しかし、上院議員の大多数が非難を支持すれば、大統領の職務は一時的に停止され(180日間)、大統領自身とその弁護団に弁護を準備する時間を与えます。

ディルマ・ルーセフ大統領の職権が一時停止されると、現在進行中の制度の危機は著しく悪化するでしょう。なぜなら、政府を引き継ぐことになるミケル・テマー副大統領、および引き継ぎの次席にあたるエドゥアルド・クンダは両名とも多くの法律的な事案において汚職で公式的に訴追されており、それは有罪となれば彼らの地位から追われることを意味しています。この状況下ではいかなる事件も起こりうる可能性があるのです。

国際的な報道機関や世界の指導者たちの関心は、自分自身が汚職で告発され、最高裁での判決を待つ身であるエドゥアルド・クンダ下院議長によって開始された、この独自の弾劾裁判に向けられています。国際的な報道機関や世界の指導者たちは、世論の分裂を煽るような偏向した報道で危機の悪化に寄与するローカルなメディアをも批判しています、ローカルなメディアに対するこの非難はソーシャル・メディアで反響を呼び起こし、政府支持と民主主義擁護の表明がなされています。「民衆は発言できないのではない、グロボ・ネットワークを打倒せよ」というスローガンは国内の至るところで口にされています。ローカルなメディアについて言えば、NGO国境なき記者団がブラジルのジャーナリストの置かれた不安定な状況についてコメントしたことに言及しなければなりません。このコメントは、2015年に、複数の政治関連の犯罪を調査していたジャーナリスト7名が暗殺されたことをわれわれに想起させてくれました。

ブラジルの政治的、制度的な危機の時期に米国がブラジルにおいてスパイ活動を行っていたことがWikiLeaksによって明らかにされました。これにより、大統領に対する非難に関して新たな分析の視角が与えられました。あるリーク文書はペトロブラスに対する監視があったことを示し、別なリーク文書はディルマ・ルーセフ大統領の公的な電話通話を非合法に盗聴していたことを示しています。これらのリークが原因となって大統領は予定していたワシントン訪問を延期する判断をくだしました。

さらに、米国の右派的な組織による干渉がなされていたという告発もなされています。米国の右派の組織は、例えば自由ブラジル運動、自由のための学生といった弾劾志向のデモを行うグループを資金的に援助し支援していました。上述のグループが北米のネオコン的な富豪のコーク兄弟の設立したコーク研究所に資金援助を受けていたことを「証明済みの悪名高い事実である」と断じるのは、カンピナス大学(UNICAMP)の政治学教授アルマンド・ボイトです。彼はブラジルアクチュアル―RBAネットワークの報道の中でそう主張しました。

その結果として、ブラジルの危機は少なくとも部分的には、ブラジルを実際の戦略的な同盟関係から離脱させるのみでなく、BRICS全体の構想を弱体化させることを狙っている幅広い謀略に関連していることに、多くのアナリストが気付いています。南アフリカのケースへの外国の干渉、インドへの米国の影響力増大が中国とロシアに対する両国の同盟関係を弱体化させることを狙ったものであることは多くの証拠によって明らかにされてきました。その他にも、国際社会ではモスクワと北京に対する顕著な策謀が見受けられます。当然のことながら、これらすべてはBRICSが防御を固める適切な理由になるのです。

(*)リオデジャネイロ連邦大学(UFRJ)政治学部教授